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東京高等裁判所 昭和59年(う)452号 判決 1984年6月13日

被告人 藤沼建士

昭二六・三・一五生 会社員

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年二月に処する。

原審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入する。

押収してある真空管一本(証拠略)を没収する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人猪瀬敏明作成名義の控訴趣意書及び控訴趣意補充書各記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について

所論は、まず、原判決は甲に対する準強制わいせつ致傷罪の公訴事実につき被告人を有罪と認めたが、右行為の際被告人には主観的に卑わいな行為をしているとの認識はなく、行為の目的も、被告人としては勤務先の社長の冷遇を恨み、そのうつ憤を晴らそうとしたのであつて、これによつて性欲を刺激、興奮させようとしたものではなく、また、行為の態様をみても、被告人の行為は相手の肛門部のみに向けられていて、同人の性的自由を侵害した事実は全くないのであるから、原判決が被告人の右所為を捉えて準強制わいせつ致傷罪に当たると認定したのは事実を誤認したものであり、単に傷害罪と認定するのが正当である、と主張する。

よつて、原審の記録並びに当審における事実取調の結果に基いて考察するのに、原判決が、右主張に符合する原審における被告人の弁解並びにこれと同旨の原審弁護人の主張に対し、これを採用しなかつた理由の要点を補足説明しているところは、関係証拠に照らして十分これを是認することができる。すなわち、被告人の本件所為の客観的内容及び態様等が原判決摘示のとおりであることは証拠上明らかであるところ、右に摘示された被告人の所為の客観的内容及び態様等に照らせば、右行為は客観的にみて性欲を興奮、刺激させ、一般人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道徳観念に反するということができ、右のような内容及び態様等の行為であつてみれば、それが専ら被害者の肛門部を対象とし、直接性器に及ばないものであつても、わいせつ性の点では性器に対する行為と同一視すべきであることは、社会通念上明らかというべきである。そして、被告人においてかかる行為に出た以上、当時被告人の内心に性欲を興奮または刺激させようとする意識があつたと推認できることも当然である。この点に関し、被告人にこれと異なる行為の目的があつたとする所論の主張の根拠とされている被告人の弁解が、不合理で到底信用し難いものであることは、原判決が詳細に説示するとおりであるから、右主張は失当といわざるをえないばかりでなく、却つて、原審において被告人の同意の下に異議なく取調べられている、被告人の司法警察員に対する昭和五八年九月二一日付供述調書中の被告人が行つたような男の子の肛門を狙つた行為は、他人からみればわいせつ目的によるものとみられても仕方がないし、広い意味では性欲の満足ということになるかと思う旨の不利益供述並びに検察官に対する同月二九日付供述調書第一五項の「私は同性愛者ではないと思つていますが、サデイストという性格がある事は確かだと思うのです。つまり、子供に痛みを与えて心を満足させる私の気持が変つた形で性の満足という事であろうと思うのです。」との自白の方が自然で首肯できるといえるから、以上に認定したところによれば、被告人の本件所為が準強制わいせつ致傷罪にあたることに疑問はないというべきである。

なお、この点につき所論は、被告人が本件の前年に本件犯行と同種の事件を惹起した際には、単に傷害罪として処理されたことをもつて、その主張の有力な論拠とするもののようであるが、一つの事件について刑事実体法上評価できるすべてを訴因として構成して起訴するか、それともその一部分に限縮して起訴するかは、起訴・不起訴の決定権を有する検察官の裁量に委ねられている事柄であり、しかも、起訴を受けた裁判所は、その訴因が事件の一部を把えて構成されたものであつても、原則として訴因の範囲を越えて審判することを得ないものであるから、本件と同種事案について傷害罪で処理された事例が他にあるからといつて、直ちに本件の事実認定が誤つているといえないことは勿論であるとともに、右のような処理が、その後の同種事案に関する検察官の起訴方法や裁判所の事実認定ないし法令の適用を拘束するとは考えられないから、右主張のいわれのないことはいうまでもない。

所論は、また、原判決が、本件における前記甲(以下被害少年という。)の受傷と認定したもののうち、腐しよく性直腸炎兼肛門炎の部分は被告人の本件犯行によるものではない、被告人の犯行そのものによる受傷は、肛門内粘膜の毛細血管を傷つけたことによる少々の出血に過ぎず、従つて、被告人がその出血をとめるために肛門内に綿球を挿入したといつても、これによつて同所の組織や腸壁を傷つけたとは思われないのであり、むしろ、右傷害は熊澤博久医師の真空管除去の際の不手際により生じたものとみるべきである、と主張するが、右熊澤の原審証言によれば、被害少年の肛門内に、直径約五センチメートル、長さ約一一センチメートルの真空管が挿入され、さらに肛門内に綿球五個も挿入されたため、これが右真空管とともに持続的に直腸肛門内に接触していたこともあつて発熱があり、付近の組織等が炎症機転を経て糜爛壊死して腐しよく性直腸炎兼肛門炎が発生したものであることが認められるのであつて、これと異なり、本件犯行当時からすでに被害少年の肛門の一部に潰瘍性のものではないかと疑わせるような白桃色で丸いようなものができていたのであつて、本件による受傷とされている腐しよく性直腸炎兼肛門炎は被告人の与えた傷害ではないとする原審法廷における被告人の供述などは、医学的知識に乏しい者の憶測の域を出ない見解というべく、医師である前記熊澤証人の証言の信用性を左右するものとは思われない。そして、記録を検討しても、右腐しよく性直腸炎兼肛門炎が熊澤医師の真空管を除去する際の不手際によつて生じたことを窺わせるような形跡は全く見当らないから、この点の弁護人の主張もこれを認めるに足りない。

以上を要するに、被告人に対する原判示準強制わいせつ致傷の犯罪事実はその証明が十分であつて、所論のいうような重大な事実の誤認は存在しないから、論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(量刑不当の主張)について

所論は、要するに、原判示事実がそのまま肯認されるとしても、被告人の犯行の情状にはなお斟酌すべき節が多々あり、被害少年の受傷は既に治癒しているとともに、示談が成立していて、被害者側の宥恕も得ていることなどに照らせば、原判決の量刑は重過ぎて不当であるというのである。

よつて、関係資料を総合して原判決の被告人に対する科刑の当否を検討するのに、本件は、被告人においてアマチユア無線を愛好する一三歳の少年が被告人を同好の先輩として尊敬しているのを利用して同少年を他人の留守の部屋に連れ込んだうえ、言葉巧みに欺いて同人の肛門部周辺に局所麻酔剤を注射したりし、肛門内に真空管や多数の綿球を挿入するなどのわいせつ行為を加え、これにより同少年に入院加療約一か月を要する傷害を負わせたというものであるが、その手口、態様は計画的で手が混んでいて危険ですらあり、特に年少の被害者の蒙つた肉体的精神的苦痛も大きく、その結果は到底軽いとはいわれない。しかも、被告人は、本件と同種事案で昭和五二年に懲役三年、執行猶予五年に処せられた経歴を持ち、また右猶予期間中に、前記傷害罪により罰金一〇万円の処分を受け、これまでに十分反省の機会を与えられていたのに、再び同種の本件犯行に及んだものであつて、同種行為の習癖化が顕著であるから、被告人の刑責の重大なことはいうまでもない。それ故、原判決が、被告人に対し、他方において、本件住居侵入の点につき被害者から嘆願書が提出され、その宥恕を得ていること、準強制わいせつ致傷についても示談が成立し、示談金一七〇万円のうち一〇〇万円が支払われ、被害者側から宥恕を得ていることなどの、被告人に利益な情状を斟酌しながらも、被告人を懲役三年六月に処したのは、原判決の当時においては相当な科刑であつたといわなければならない。

しかしながら、当審における事実取調の結果によれば、原判決後被告人側において被害者側に対し示談金の残額七〇万円を支払つて示談の内容を完全に履行したことが認められ、その他記録に現われた諸般の事情をもあわせて考えると、原判決の量刑は現時点においてはこれを軽減する余地を生ずるに至つたものというべきである。

よつて、刑訴法三九七条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に則り直ちに当裁判所において自判すべきものと認め、さらに次のとおり判決する。

原判決が適法に認定した事実に原判決挙示の法令を適用し、所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年二月に処し、刑法二一条により原審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入し、押収してある真空管一本(証拠略)は判示準強制わいせつ致傷の用に供した物で、被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用してこれを没収し、原審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 四ツ谷巖 萩原太郎 小林充)

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